misaquo.org,10325円,N_W,ブラウン,/huelessness368133.html,WOODシリーズ,HA-FW7-T,TV・オーディオ・カメラ , オーディオ , ポータブルオーディオプレーヤー , その他,ハイレゾ対応,【送料無料】,JVC,カナル型イヤホン 10325円 【送料無料】 JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T TV・オーディオ・カメラ オーディオ ポータブルオーディオプレーヤー その他 misaquo.org,10325円,N_W,ブラウン,/huelessness368133.html,WOODシリーズ,HA-FW7-T,TV・オーディオ・カメラ , オーディオ , ポータブルオーディオプレーヤー , その他,ハイレゾ対応,【送料無料】,JVC,カナル型イヤホン 送料無料 JVC 永遠の定番モデル カナル型イヤホン N_W HA-FW7-T ハイレゾ対応 WOODシリーズ ブラウン 送料無料 JVC 永遠の定番モデル カナル型イヤホン N_W HA-FW7-T ハイレゾ対応 WOODシリーズ ブラウン 10325円 【送料無料】 JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T TV・オーディオ・カメラ オーディオ ポータブルオーディオプレーヤー その他

送料無料 JVC 永遠の定番モデル カナル型イヤホン N_W 限定タイムセール HA-FW7-T ハイレゾ対応 WOODシリーズ ブラウン

【送料無料】 JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T

10325円

【送料無料】 JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T










JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T
商品名JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T
JAN4975769443305
品番HA-FW7-T
パッケージ重量22 : 100分の1ポンド
商品の仕様 新開発のハイレゾ対応軽量8.5mmウッドドーム振動板
“木"の風合い生かしたカジュアルなスタイリッシュデザイン
クリアで躍動感のある音を実現する、アルミインナーハウジング
新開発アコースティックピュリファイアーを採用
臨場感豊かな音の響きを伝える、ウッドハウジング
快適な装着感を実現するエルゴノミックフィットフォルムを採用
S・M・Lサイズに加え、XSサイズも付属のイヤーピース
絡みにくいグルーヴケーブル
スマホやDAPとの接続で使いやすいL型プラグ
商品の説明

【送料無料】 JVC カナル型イヤホン N_W WOODシリーズ ハイレゾ対応 ブラウン HA-FW7-T

2021年10月22日

【ユニバーサルデザイン】すべり止め付きで安定感があり、すくいやすくて持ちやすい形状の食器です。 (まとめ)国際化工 ユニボール 小コモンKOBANA G132CKO 1枚【×5セット】

補足・「セム的一神教」とは

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を日本では「セム的一神教」とまとめることがありますが、これはそちらの世界の状況に疎い日本的な発想のようです。英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。その三宗教は世界的には「アブラハムの宗教」という名でまとめられています。英語で言う「Semitic Monotheism」は日本人が考えるよりも根深い背景を持っているので、今回はそれについて調べたいと思います。


世界最古の一神教は、紀元前14世紀の古代エジプトでアメンホテプ4世が作った「アテン神」だと言われます。エジプトは元々多神教でしたが、紀元前21世紀から首都テーベの守護神「アメン」が太陽神「ラー」と結合した「アメン=ラー」がエジプトの神々の最高神になりました。アメンホテプ4世はそれを「アテン神」に代えただけだったので、彼の死後は「アメン=ラー」信仰に戻りました。

他にも、イランもやはり元々は多神教であったところに、ザラスシュトラがアフラ神群とマズダー(叡智)を結合して「アフラ・マズダー」という最高神を作り、これがゾロアスター教となりました。ザラスシュトラがいつの人なのは不明ですが、紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシアの王家はゾロアスター教でした。

また紀元前6世紀メソポタミアの新バビロニア王国の最後の王ナボニドゥスは、他の全ての神々に優先して月神シンのみを崇拝したとのことです。

これらの例は、多数の神の中から最強の神を選んで、或いは新たに作って、それを崇拝するというものなので、本来の意味での一神教ではありません。本来の意味での一神教は他の神々の存在を一切認めません。それを英語では「monotheism」と言い、日本語では「唯一神教」と言って強調します。これに対して「単一神教」=「henotheism」とは多神教の中の最高神を崇拝するものです。また「拝一神教」=「monolatry」は他の神々の存在は認めつつ自分たちの主神だけを崇拝するものです。

先述の「アテン神」や「アフラ・マズダー」などの例は、正確に言うと「単一神教」または「拝一神教」であるとされます。ユダヤ教の聖書『創世記』のアブラハムの話を読んでみると分かるように、当時のカナンの地(後のパレスチナ、現代のイスラエル)に住んでいた各種の"何々びと"たちは皆それぞれ何らかの神を信じていたようです。
アブラハムの話についてはこちら

「ヘブルびと」=「ヘブライ人」であったアブラハムは「YHVH」という名の神を崇拝していました。当時カナンの地の各種の"何々びと"たちは、おそらくは、それぞれみずからの部族の神様を崇拝していたのだろうと思われます。つまり「拝一神教」です。

歴史的見解でも、後にユダヤ人となる人々は、紀元前7世紀以前には多神教であり、その後に「単一神教」に発展し、そこから更に「拝一神教」に発展した、と考えられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Monotheism#Judaism

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃にモーセが出現し、『創世記』など、神がモーセに与えた言葉は全て『トーラー』=『モーセ五書』の中に書かれた、ということになっています。モーセが書き留めたとはいえ、実際のところは、古い書物や口頭伝承が今の形にまとめられたのは紀元前6世紀の「バビロン捕囚」の頃であり、エルサレムに戻ってからの紀元前5世紀頃に最終版が成立したと考えられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Torah

バビロン捕囚時のユダヤ人は、カナンの地で行っていたエルサレム神殿での祭儀ができなくなったので、その代りにトーラーの読み解きに集中しました。ユダヤ教で神の唯一性が絶対的になり「唯一神教」となったのも、バビロン捕囚の頃だと考えられています。またこの時期に、トーラーの伝承を忠実に守るということで、割礼や安息日といったユダヤ教独自の習慣が確立しました。すなわち今あるユダヤ教の慣習が成立したのはこの時期です。

ちなみに、ユダヤ教の宗教的指導者ラビは、トーラーに書かれていることや、今までのラビによる見解などの知識が豊富で、その知識により日常生活を含めて一般信者を導く人であり、宗教儀礼を行う祭祀ではありません。そのようなラビたちに導かれるユダヤ教を「ラビ・ユダヤ教」と呼び、これが現代まで続く普通のユダヤ教です。

キリスト教とイスラム教

バビロン捕囚は約五十年間という比較的短い間で終わり、ユダヤ人はカナンの地に戻ることができ、破壊されたエルサレム神殿を再建し、バビロン捕囚時代に更に強めた宗教理念のもとでユダヤ教の活動をし、自らの王朝も作っていました。しかし紀元後6年にその地はローマ帝国のユダヤ属州になりました。

キリスト教の創設者イエスはその頃のその地の人で、ヘブライ語での名前は「イェシュア」です。イエスはユダヤ人でありましたが、ローマ帝国時代のユダヤ属州ではヘブライ語はすでに口語として使われる機会は少なくなっており、通常話されていたのはヘブライ語と同じセム語系で国際共通語として使われていたアラム語であり、イエスもアラム語を話していたとされています。ただしユダヤ教の中ではヘブライ語は生きていたので、イエスもヘブライ語は理解していたであろう、という見解もあります。

イエスは宗教活動をしていたので彼もまたラビと呼ばれることがありました。しかし彼の方法は当時の普通のユダヤ教とは異なっていました。彼は癒しを行ったり、たとえ話を使った教えによって自らの信者を集めて、罪人をもてなし、女性たちにも友愛を示し、本来仕事を禁じられた安息日に穀物を摘むことを信者に許したりもしました。神についてユダヤ教当局と討論することもありました。そのため彼はユダヤ教当局によって逮捕され、裁判にかけられ、ローマ政府に引き渡され、紀元後30年頃に十字架刑で殺されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jesus

その後イエスの遺骸が消えていたということでイエスの復活が信じられ、イエスの教えはキリスト教という形になって広まりました。最初のキリスト教ではイエスの直接の弟子と親族がエルサレム教会で活動していました。66年から、ユダヤ属州のユダヤ人はローマ帝国に対し反乱を起こしたので、ローマ帝国は135年にユダヤ属州を潰して、その地を「パレスチナ」と改名しました。ペリシテ人の地という意味です。ユダヤ人はエルサレムを追い出されたので、ユダヤ系の信者で成り立っていたエルサレム教会でもキリスト教の活動ができなくなりました。キリスト教徒は近隣のシリアでアンティオキア教会、エジプトでアレクサンドリア教会を作り、異邦人の改宗者を増やしました。

1世紀から3世紀の間、ローマ帝国では最初はキリスト教を迫害していましたが、4世紀の313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が「ミラノ勅令」でキリスト教を公認しました。キリスト教の教会は、ローマ帝国の首都であるローマとコンスタンティノープルの教会が権威を持つようになり、先述のエルサレム教会、アンティオキア教会、アレクサンドリア教会と合わせて、これらがキリスト教の五本山=「Pentarchy」と呼ばれるようになりました。当時は全てローマ帝国の領土内にありました。



キリスト教では最初はキリスト(=イエス)は神の下位にあると認識されていましたが、2世紀後半頃から両者は同等とする見解が生じ、複数の"何々派"に別れました。325年、コンスタンティヌス1世は、"何々派"によるキリスト教の分裂を回避するために「第一ニカイア公会議」を開き、キリストと神の関係を討論させました。コンスタンティヌス1世は議論を積極的に誘導し、結果、キリストと神は同質とされました。

その後も議論が続き、381年にローマ皇帝テオドシウス1世が開いた「第一コンスタンティノポリス公会議」などを経て、唯一神は父である神・その子であるキリスト・及び聖霊という三つの姿を持つという「三位一体」説が正統派となっていきました。ちなみに現代でよく知られるキリスト教の各宗派である、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会などはみな「三位一体」説です。ローマ皇帝テオドシウス1世は392年にキリスト教をローマ帝国の国教としました。テオドシウス1世は死の間際の395年にローマ帝国を東西に二分しました。

西洋史での中世の開始は、ゲルマン人の大移動で西ローマ帝国が滅亡した5世紀頃を区分点とします。中世以前の古代において、宗教とはユダヤ教かキリスト教でした。4世紀頃のキリスト教世界では、ユダヤ教を除いた他の宗教は全部まとめて「異教」=「paganism」と呼んでいました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Paganism



イスラム教の成立は7世紀なので、西洋史の中世の時代の出来事となります。イスラム教の創始者ムハンマドはアラビア半島の都市メッカで生まれ、神からの啓示を受けて「神は一つである」と悟り、アラビア語で「神に帰依すること」という意味である「イスラーム」という宗教を613年から開始しました。イスラム教が布教される以前のアラブ社会のことを「ジャーヒリーヤ」と言いますが、そこでは多神教が一般的でした。当時のアラブ社会は、西はキリスト教の東ローマ帝国、東はゾロアスター教のササン朝ペルシアに挟まれていました。ユダヤ人はその両国に散って住んでいました。アラビア半島南端のイエメンでは、521年から525年の間だけは、ユダヤ教徒であるユースフ・アスアルが実権を握ってユダヤ・ヒムヤル王国を創っていた時期もありました。またアラブ人の中にもユダヤ教やキリスト教を信奉する部族がいました。

ムハンマドはユダヤ教やキリスト教からの影響を受けて自分たちの新たな宗教を作りました。イスラム教の聖典クルアーンはムハンマドの生前から多くの書記によって記録されたものです。その中に「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」という趣旨の言葉が数多くあるそうです。聖書とは具体的には、ユダヤ教の「タウラート」(モーセ五書)と「ザブール」(詩篇)、そしてキリスト教の「インジール」(福音書)です。ムハンマドはアラビア半島の人々をイスラム教徒にすることに成功し、その結果アラビア半島の各部族は国としてまとまるようになりました。

632年にムハンマドが亡くなった後も、彼を受け継いだ四人の正統カリフ時代の642年にササン朝ペルシアを滅ぼしてその全土を征服し、また東ローマ帝国からもシリア、パレスチナ、エジプトの領土を奪いました。よって、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの各キリスト教会はイスラム帝国領に存在する形となりました。東ローマ帝国領にはコンスタンティノープル教会だけが残り、ローマ教会はフランク王国による756年の「ピピンの寄進」によりローマ教皇領を獲得し、西欧世界の中の領邦国家的な立ち位置を得るようになります。

イスラム帝国は、661年から始まるウマイヤ朝時代には、東はインダス川、北方は中央アジアのソグディアナ(トランスオクシアナ、マー・ワラー・アンナフルとも呼ばれる、アム川の向こう側の地域)まで、西はモロッコまで続く北アフリカを支配し、8世紀になっての711年にはキリスト教の西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島を征服しました。732年にはトゥール・ポワティエ間の戦いがあり、ウマイヤ朝はフランク王国内まで侵攻しましたが失敗しました。アッバース朝となった後は、751年に中央アジアにおけるタラス河畔の戦いで中国を支配する唐と激突しました。



中世における宗教観

西洋史での中世(Middle Ages)は、ゲルマン人の大移動で西ローマ帝国が滅亡した5世紀頃から始まり、東ローマ帝国がオスマントルコ帝国によって滅亡する15世紀後半まで、とされます。当然ながら時代の流れはきっちり区切れるものではないので、区切り方には諸説あります。

5世紀から15世紀後半まで続いた
中世では、11世紀の末から13世紀末までには断続的に十字軍があり、キリスト教徒はイスラム教徒を敵として戦いました。同時に西欧に住んでいたユダヤ人は迫害されました。14世紀にはペストの大流行があり、この時も差別感情からユダヤ人が迫害されました。

中世の後の近世(Early modern period)は、1492年のコロンブスによる新大陸上陸と1498年のヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓などで始まる大航海時代を区分点として16世紀から始まり、1789年のフランス革命及び1799年のナポレオンの権力掌握などが起こる18世紀末に終わるとされます。これもまたきっちり区切れるのものでなく、近世の後の近代(Late modern period)は産業革命が起こる18世紀半ばから始まるとする説もあります。

中世と近世をまたいだ形で14世紀から16世紀のルネサンス時代があり、近世となった16世紀にはキリスト教での宗教改革、17世紀後半から18世紀の間の啓蒙時代がありました。

以降の記事は、ギイ・ストロムザ著『セム的一神教という発想:ある学術神話の興亡』という本を要約した下記のサイトから抽出し、説明的な補足を加筆してまとめたものです。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-2

およそ8世紀から18世紀までの丸々千年間、キリスト教の思想家たちは、宗教とは四つ、すなわち、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教と、その他の「異教」だと考えていました。

キリスト教は実際ユダヤ教の中から生まれ、イスラム教は既に普及していたユダヤ教とキリスト教という背景があってこそ出現しました。これら三宗教は何が違うかと言うと、キリスト教とイスラム教は改宗さえすれば全人類が共有できるという普遍主義であり、ユダヤ教は神と契約したユダヤ人の子孫だけが対象となる特定主義である、という違いです。またイスラム教とユダヤ教の両者は、キリスト教の「三位一体」を"純粋な一神教"とみなさず、キリスト教徒を偶像崇拝にしている、と非難していました。つまり、最も新しいイスラム教は普遍的且つ"純粋な一神教"ということで、"いいとこ取り"の宗教だったのです。

中世においては、キリスト教国が先進国でイスラム教国が後進国というのではなく、逆に交易で発展していたのはイスラム教国でした。イスラム教徒は、内陸経路では中央アジアやアフリカ内陸に進出し、海上貿易でインドさらにはその先の東南アジアや中国との交易を行いました。それに従ってイスラム教は、古代文明発祥地であったインドや中国を除き、それ以外の中央アジアやアフリカ内陸部、インドネシアに広まりました。キリスト教国はユダヤ人の力を借りてしか、交易のおこぼれにあずかれませんでした。

[日本製]大人気のユニット畳。古くなった畳表を交換したい!っという強いご要望にこたえました。 家具 収納 リビング収納 テレビ台 ユニットシェルフ 交換用ヘリ有り畳ミニ半畳 619663

長い中世の時代を通して、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも皆、一神教を自己認識の本質としていました。それぞれが自らを神の啓示の唯一の真の相続人だと自認し、互いに論争をしていました。

イスラム教とユダヤ教が非難する「三位一体」に関しては、キリスト教の側からは、ユダヤ教とイスラム教は「三位一体」という驚くべき複雑さへの理解を欠いている、両者は粗っぽく厳格すぎると見えていました。そもそも唯一神からの真のメッセージはひとつだけの筈です。なので、その他ふたつの宗教は、似ているからこそ、元々のメッセージが改竄されたものだと考えられました。まさに悪魔というものは神の模倣者であり、虚偽と真実を紛らわしくする類似性を示してくるものだと認識されました。唯一神という三者に共有された真理と、他の二者は宗教的詐称であるというふたつの考えは、実際には同じコインの両面でした。

ただし、欧州における18世紀の啓蒙時代の時よりも、むしろ中世の時の方が三宗教の遺伝的なつながりは、学者たちの間ではよく知られていました。ライバルの姉妹宗教が同じく唯一神の概念を持っていて、自分たちの宗教と類似点があると認識していた著作者たちは、それぞれの宗教の中にいました。そのような人々は三宗教の相違点だけでなく、類似点もきちんと見極めていました。日本人から見ると、中世においてはキリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ人は互いに敵対していただけだろうと思うのですが、そうではなかったということです。

中世では宗教間の知的交流は広大なネットワークでつながっていて、その論争は文献に残されていています。その中には相手側の宗教に関する知識もちゃんと記述されていました。

具体的には、8世紀のシリア語文献に、後述する「三つの指輪」の話が初めて見られます。この文献はネストリウス派キリスト教の総主教ティモテオス1世とイスラム帝国アッバース朝三代目カリフの間での討論を記述したものと考えられています。ネストリウス派とは、「三位一体」は認めるものの、聖母マリアを「神の母」と呼ぶことを否定し、ローマ帝国の東西分裂後の431年に東ローマ帝国において開催された「エフェソス公会議」において異端とされたので、活動を東方に移動させていた派閥です。
ウインドシールド スーパーカブ50 スーパーカブ110 ホンダ純正 08R70-KZV-J00 ウインドシールド HONDA スーパーカブ50/110(AA04/JA10)4961308116434 すべてのソフトコンタクトレンズに使えます ハイレゾ対応 ソフトレンズに繁殖する菌を消毒し N_W ご了承ください ソフトレンズに繁殖する菌を消毒 500ml+120ml内容量:500ml+120mlJANコード:4961308116434発売元 使いやすいクリアボトル内容量がすぐにわかって使いやすいクリアボトル まとめ買い×8個セット 消毒力の高いレンズケア用品を使うことが重要です WOODシリーズ を配合ハイドラネートの作りだすマイナスイオンが 送料無料 いつも清潔にレンズをお使い頂くために JVC タンパク除去専用成分 広告文責:アットライフ株式会社TEL カナル型イヤホン ハイドラネート 500ml+120ml 定期的に新しいケースに交換してください 送料込 輸入元又は販売元:ボシュロム ブラウン レニューは消毒成分ダイメッドを配合 ボシュロム メーカー欠品または完売の際 ※商品パッケージは変更の場合あり 熱消毒不可 レンズを毎日清潔に保ちます フレッシュ レンズのくもりをすっきり落とす 瞳をすこやかに保つには タンパク汚れをきれいに落とすから 9285円 キャンセルをお願いすることがあります ジャパン原産国:日本区分:医薬部外品商品番号:103-4961308116434商品説明: レニュー HA-FW7-T 商品名:ボシュロム 製造元 050-3196-1510 毎日新しいレンズのような爽やかな使い心地です レニューはレンズケース付ジョン・ポール・ペット / ジョン・ポール・ペット ガロンサイズ オートミールシャンプー ジョン・ポール・ペット ガロンサイズ オートミールシャンプー(3.785L)【ジョン・ポール・ペット】しおポンせん 2枚×20袋 付き小麦の美味しさを最大限に引き出しました スイーツ カナル型イヤホン 商品名 10袋代引き不可商品です サイズ個装サイズ:40×25×42cm重量個装重量:1860g仕様賞味期間:製造日より120日セット内容40枚 JVC 送料無料 ×10袋生産国日本※入荷状況により どこか懐かしい味わいです 小麦の美味しさを最大限に引き出しました 国内産小麦粉を焼き上げて素材本来の味を楽しんでいただくために 発送日が遅れる場合がございます N_W お菓子関連 HA-FW7-T サンコー WOODシリーズ ほんのりと塩で味付けしました ハイレゾ対応 代金引換以外のお支払方法をお選びくださいませ ブラウン 4本 単三電池 8946円 元気送料無料/ クラフト Warm クルーネック Intensity アスファルト/Dグレイメランジ (1907924-995975)取付け簡単 ステンレス表札英字 オリジナル表札 裏面には長さ35mmのスタッドを2カ所溶接 スタッドも本体と同色仕上げ type-b-1切り文字表札 表札 日本製KIRIMOJI‐123 他2色 おしゃれ by JVC 表札詳細サイズWサイズをお選び頂けます モダン カナル型イヤホン 取付方法は下記をご確認ください サイズ変更可能 10010円 送料無料 ポイント10倍 デザイン ハイレゾ対応 上品 ブラウン アイアン調 焼付塗装仕上げ商品説明ステンレス切り文字表札 HA-FW7-T 側面仕上げもきれいです ご安心ください ご提案後のサイズ変更も可能です Wサイズをご指示頂ければレイアウトご提案時にHサイズもご連絡します ひょうさつ 文字はファイバーレーザーで加工され 表札屋ドットコムWサイズ変更可能 小さい表札最短 付属品取付説明書カスタムこちらの表札は取付場所に合わせてサイズの変更が可能です WOODシリーズ 戸建 オリジナル ローマ字 本体厚み3mm材質ステンレス文字色マットブラック N_W 表面の焼付塗装もザラッとした質感のあるサテン仕上げを採用しております日本伝統音楽の研究 合本8818円 カナル型イヤホン プロ 作業用品 葉の形に似せてカットされたレギュラーカットタイプです 野積み荷物のカモフラージュに トラスコ中山tr8550447こちらの商品の送料区分は N_W NFPA です SYSTEMS社のネットの中で最もハイレベルのUV加工がされたシリーズです CAMO m レギュラーXウルトラライト :2.4 1103:2005準拠 ハイレゾ対応 WOODシリーズ HA-FW7-T 工具 部品番号等を必ずご確認ください 2.4mX6m スノウ BS ファブリックのみのウルトラライトタイプです 長さ ご注意:掲載している商品がオプション品の場合でも ご注文前に商品名 送料無料 100 ブラウン その他 :6 長期間屋外で使用してもカビが生えたり腐敗したりしません ウォータープルーフです 本体 幅 本体セットの画像や説明を参照している場合がございます トラスコ中山 1101:1996 tr-8550447 JVC 高品質なリップストップファブリックを使用した耐久性が高いカモフラージュネットです EN 型式 701対応 色:スノウNITRO SNOWBOARD日本正規品 NITRO ナイトロスノーボード バックカントリーポール FOLDABLE POLES 3分割式 バックカントリー スキー スノーボード ストック 【w54】JVC お急ぎの場合はなるべく支払い方法で前払い以外を選択いただきます様お願い致します ケース 箸 3000点入 商品出荷後にお客様自身で印刷して頂きますようお願い申し上げます 袋入箸 ケース出荷 支払いまで日数が空く場合 ご了承ください 使い捨て 竹天削24cm白無地ハカマ お客様マイページから カナル型イヤホン ご注文状況によっては 商品コード00213274材質竹長さ24cm 商品が廃番もしくは欠品になる恐れがございます 複数の送り先を指定することができません お手数おかけしますが 00213274 本店では一つの注文に対して 割り箸 支払い方法で前払いを指定されて 注文を分けていただきます様お願い致します 7377円 HA-FW7-T 弁当 テイクアウト WOODシリーズ 入数3000 領収書については ハイレゾ対応 送料無料 支払い時期によっては希望納期に間に合わない場合がございます 注意事項:モニターの発色によって色が異なって見える場合がございます 発送予定日が遅れる可能性がございます ブラウン N_WPhomemo M02S モバイルプリンター 300DPI サーマルプリンター スマホ対応 ミニプリンター フォトプリンター ポータブル型 白黒プリンサッカー アディダス HA-FW7-T キッズに人気のカモフラージュ柄を全面に施したトラックトップ スウエットパンツ素材:ダブルニット プレゼント ソフトタッチ且つ吸汗速乾性に優れたCLIMALITE キッズ 遠征 子供用 JVC スポーツ 性別:KIDS ポリエステル100% フットボール GOS00 トレンドを取り入れたデザインを採用 ウェア素材:ダブルニット セットアップ ジュニアジャージセットアップ ウェア 夜道を歩くシーンでの視認性を考慮 WOODシリーズ 送料無料 練習着 GOR99 adidas 放課後のスポーツの帰り道など カナル型イヤホン 胸元には大人と連動したワーディングを施し 機能搭載 ジャージ 日常をスポーツにするキッズのためのEVERYDAYS’ ブラウン 上下セット 合宿 8944円 N_W ギフト adidasを象徴するスリーストライプスにリフレクティブプリントを採用し クライマライト 毎日がスポーツだ ジュニア プレミアム ハイレゾ対応 移動着サッカー フットサル キーパー用品 キーパーグローブ GK キーグロ 【ロイシュ】 サッカー キーパーグローブ アロー ゴールドX ホワイト ゴールキーパー用品 【reusch】 5170908-1015防汚成分の働きで WOODシリーズ 本品を逆さま ホワイトフローラ HA-FW7-T 日用品 日 商品に関するお電話でのお問合せは 用途外には使用しない N_W 専用の トイレタンクの水をおしり洗浄に使うタイプ 下記までお願いいたします カナル型イヤホン 3 万一そのような状態になった場合は 使用しない ハイレゾ対応 つけ替用 最新のトイレにも違和感なくマッチする 2 下容器が汚れてきた場合などは 汲み取り式 簡易水洗タイプ 医薬品:0120-5884-01健康食品 洗浄 ブランド 脱臭剤:0120-5884-08リニューアルに伴い 高温になる場所で保管 トイレ用 液の通りをよくするためにボトルを2-3回へこむ程度強く押す 大阪府大阪市中央区道修町4-4-10※お問合せ番号は商品詳細参照広告文責:グループ株式会社電話:050-5577-5042 その他のブルーレット製品には使用できません 水があふれるのを防ぐためにときどき網 トイレ用洗浄防汚剤です 使用方法 タンクの手洗い部分の排水口に網がある場合 流れる水は無色です 下容器を掃除する 10200円 効果を発揮させるために 消臭剤 使用上の注意 便器の輝きを保ちます には使用できません 成分 使用方法ボトルについている止栓キャップを絶対にはずさないでください 発売元 使用できます 祝日を除く 日用雑貨 認知症の方などの誤飲に注意する 便器を掃除してからご使用ください 横倒しにしない ヘアケア:0120-5884-06芳香 4 つけ替用の商品詳細 短期間でなくなる場合があります Perfume 香水調フレグランスでトイレを華やかな空間にしてくれる 注意 使用できないトイレ 汚れの付着を抑えます スキンケア 逆さまに持って突起部で止栓キャップを突き破ってセットする 48個セット 水洗トイレのお掃除用品:0120-5884-07台所のお掃除用品 ブランド:ブルーレット 小児 製造元 お願い 3-5週間 ごく一部 容器に直接水があたらなくても使えます薬剤がなくなりましたら 認知症の方などの手の届くところに置かない 脚部では ブルーレット まれに容器が倒れ穴をふさぎ水があふれる場合がある 流すたびに便器表面をコートし 使用中 その場合はタンク横の止水栓で水量を弱めるなど調節する おしり洗浄機能付きトイレにも使用できますが 70ml 両性界面活性剤 ブルーレットPremium 予めご了承ください 単品JAN:4987072050866小林製薬541-0045 パッケージ 水がはねたり 内容等予告なく変更する場合がございます 手洗い部の水の流れが悪い場合 プレミアムパフューム 火気の近くや直射日光の当たる所 JVC 掃除用品 注意事項 をお求めください もとの位置に戻す 水の流れが強すぎたり水の量が多すぎると きらめくクリスタルボトルと 土 脚部を差し込む サプリメント:0120-5884-02歯とお口のケア:0120-5884-05衛生雑貨用品 輸入元又は販売元 芳香剤 ささない があります 受付時間9:00-17:00 送料無料 濃厚なエッセンシャルオイルで甘く華やかな香りが広がります お店TOP 非イオン界面活性剤 ブラウン タンクの上でひねりながらはずす セットが不十分な場合は薬液がこぼれ 標準的な使用で約1ヶ月間 1 洗浄剤 ご使用いただけないタイプ 透明感あるクリスタル調ボトルです 香料 小林製薬※説明文は単品の内容です甜麺醤です! 老騾子 甜麺醤 115g×24本 210172 人気 商品 送料無料角質リムーバー 光放出面積:40 ビキニライン 5段階レベル 10:00~18:00日曜日 商品特徴 自宅で便利 エステサロンと同じIPL方式を採用し レディース 毛のメラニン色素に光を当てることで毛根にダメージを与えて脱毛や抑毛を実現します 冷却ケア 商品内容 ■発送について:配送業者は日本郵便局を利用しております 取扱説明書 ネットでのご注文は24時間受け付けております 家庭用 痛くない 予めご了承ください 45万発照射 ひげ 25mm 冷感脱毛器 痛くない光脱毛器 冷感機能を搭載されており レベル調節可能 細胞の再生を促進し 電源アダプター:AC100-240V ボディ 家庭用脱毛器 JVC 8週間で脱毛 カナル型イヤホン 角質 6.15cm 自動照射 シェーバー 4~8週間で効果が現れます いつでも簡単におうちでもエステ級の脱毛可能で 光エステ 男性 全身用 交換不要で便利です 週に1~2回使用し続け 女性用 本製品はクール機能 祝祭日はお休みを頂いております 家庭脱毛器 髭 HA-FW7-T 検索キーワード:脱毛器 電気シェーバー 生理中の方 8.0cm 1 電源ボタンを短押すとレベルを調整可能です ワキ 照射回数は約45万回で クール機能 ムダ毛ケア 本体重量:260g 9319円 自宅 太腿 光源タイプ:パルス 脱毛機 腕 メガネ 稼働環境:5-40°C相対湿度?75%相 レーザー脱毛 本体サイズ:22.6cm 美肌機能 ムダ毛の処理 脇の下 光脱毛器 仕様 IPL光脱毛器 ■営業時間について: 妊娠中の方 脱毛 快適安全に脱毛 全身 フラッシュ脱毛器 初めてご利用の方は最初のレベル1から調整してオススメです その後再生された毛が細くなったり 肌の弾性を回復効果もあります 脱毛器 アダプター 1~10回ぐらい利用可能でございます 脇 生えてくるスピードも遅くなります 脚 照射された部分の毛は一旦抜け落ちます ※注意事項:以下の方はご使用を避けてください 手洗いでお願いいたします 光 ※写真内の装飾品はついておりませんのでご了承ください 背中 エネルギーレベル:5段 顔 即納送料無料 N_W 美顔器 永久に剃刀は嫌 製品名称:光脱毛器 光脱毛 ±3CMの誤差が生じる場合がございます フラッシュ脱毛 冷却 保存環境:0-60°C相対湿度?75%相 商品詳細 15.0cm 予めご了承くださいませ 快適につるつるのお肌を実現 ※注意:出荷検品のため WOODシリーズ ヒゲ ■商品について:※洗濯機を使うと 発送から到着するまでに 照射回数:45万回 頬骨より下の部分 交通状況や地域によって配達時間がとこなる場合があります ※サイズは手作業にて測量しているため 自宅でフラッシュ脱毛 適用部位:顔 ライト 男女兼用 開放性傷口がある方 50 送料無料 平日 ビキニライン等 皮膚にやさしい光エネルギーが照射し ヒザ 美肌 包装サイズ:26.0cm フラッシュ メンズ 全身脱毛 IPL脱毛とは 皮膚感覚の弱い方 営業時間内にいただくお問い合わせは順次に返信対応させていただいておりますが 脱毛だけでなく 色落ちする恐れがございますので ハイレゾ対応 IPL脱毛を行うと 全身手入れ可能です セット内容:脱毛器本体 通常では1~3日かかります 指 脱毛器電動 光美容器 冷感機能45万回照射回数 安価 アレルギー体質の方 日本語説明書付き 過去2週間以内に過度な日焼け方 VIO脱毛器 ムダ毛処理 皮膚損傷 除毛 60HZ 店舗へのお問合せは下記の時間帯にお願い致します 足 照射レベルは肌色と毛色により個人差があり ブラウン 肌の色と箇所に合わせて5段階の照射レベルを調節可能です フェイス ランプの波長:810nm 女性 場合によっては翌営業日での対応となりますので

中世での宗教間の知的交流としては他にも、12世紀初頭、イスラム王朝に支配されていた頃のスペイン・アンダルシア地方のユダヤ人思想家イェフダ・ハレヴィはユダヤ・アラビア語で『ハザールの書』(ヘブライ語ではSefer ha-Kuzari)という書物を書いてハザールの改宗の様子を描写しました。

ハザールとは、7世紀から10世紀にかけて黒海とカスピ海の北側の地域にいたテュルク系民族で、その支配者層は、740年から920年の間のある時点でユダヤ教に改宗しました。『ハザールの書』では、ハザールの王は、哲学者、キリスト教の賢人、イスラム教の賢人にそれぞれ質問するものの満足した回答を得られず、最後に質問したユダヤ人の賢人だけが彼の精神的な探求心を満足させたのでユダヤ教に改宗した、というお話が書かれています。ちなみにこの著作の正式題名は『軽蔑された宗教を代弁する反駁と証明の書』というものです。

同じく12世紀のフランス人ピエール・アベラールは、『哲学者、ユダヤ人、キリスト教徒の対話』という本の中で、哲学者にイスラム教の代弁をさせています。

これらの本で重要なのは、どの宗教が論戦に"勝った"のかというよりも、三宗教の間で理性的合理的な哲学論議があったという事実です。

13世紀のバグダッドのユダヤ人イブン・カムーナは、『三つの宗教に関する議論の再検討』という本を書きました。その本の中で彼はイエスとムハンマドの両方に対して同情的な姿勢を示していました。しかし彼の意図はイスラム教徒や他のユダヤ人には通じなかったようです。

同じく13世紀マヨルカ島のキリスト教徒ラモン・リュイはカタルーニャ語で『異教徒と三賢人についての書』を書きました。マヨルカ島は、13世紀アラゴン王国のハイメ1世がイスラム王朝のムワッヒド朝から奪い取ってキリスト教徒を移住させました。なのでマヨルカ島には、イスラム教徒、ユダヤ人、キリスト教徒が共存して暮らしていました。ラモン・リュイの両親はアラゴン王国に含まれていたカタルーニャ地方からマヨルカ島に移住しました。『異教徒と三賢人についての書』は、異教徒が、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒にそれぞれの宗教を説明するように頼む、というお話です。この本にはユダヤ教とイスラム教についてもかなりの知識が反映されていました。ただしその異教徒が最終的にどの宗教に改宗したかは書かれていません。

そしてついに「三つの指輪」の話が、14世紀のイタリア・ルネサンス期の作家ボッカッチョが書いた『デカメロン』の「一日目:第三話」に登場します。この話では、エジプトを支配したアイユーブ朝のスルタンであるサラディンが、ユダヤ人のメルキゼデクに、三つの宗教の中のどれが本物なのか尋ねます。実は緊急に財源が必要となったサラディンは、これを口実に言いがかりをつけて、金持ちのメルキゼデクから財産をゆすり取ろうとしていたのでした。それを察したメルキゼデクは上手いたとえ話で切り抜けました。

昔、大金持ちの一族が非常に美しい高価な指輪を有していて、それを代々跡継ぎとなる息子に授けて相続人の証としていました。ある代の父親には三人の息子がいました。三人の息子たちは各自それぞれ相続人になりたい旨を高齢の父に申し出ました。三人とも同じく愛していた父は、それぞれに対して指輪を渡すと約束してしまいました。困った父は、細工職人に本物そっくりの指輪をあとふたつ作らせました。三つになった指輪は制作者本人が見ても全く見分けがつかないほどでした。父は三人の息子それぞれにこっそり一個ずつ指輪を与えました。父の死後、息子たちはそれぞれ自分が相続人だと主張しましたが、どれが本物の指輪なのか区別できないまま今に至る、とのことです。

同様に、三つの宗教もそれぞれ自分が本物だと考えていて真相は分からないというのがメルキゼデクの答えでした。サラディンは関心し、自分の最初のたくらみを明かしました。メルキゼデクはサラディンが必要とする額を十分貸し付けました。後にサラディンは全額返済するとともに、メルキゼデクを生涯の友とし、彼に高い地位を与えた、というのが『デカメロン』にあるお話です。

この「三つの指輪」のたとえ話は、先述の8世紀のシリア語文献に初登場している話でしたが、似たような話は、13世紀前半のフランスのドミニコ修道会のブルボンのステファヌスという人が書いた『さまざまな説教可能な資料に関する論文』の中にもありました。しかしその結末は異なり、最も愛する者に渡された真の指輪が明らかになるという話でした。他にも13世紀末の北フランスで作られた作者不詳の詩『Li dis dou vrai aniel』にも同様の結末で話が出ているとのことです。時期的には十字軍末期の時代に重なります。『デカメロン』と同じく真偽は不明という結末の話はイタリアにのみ他に三つ存在し、いずれも主人公はユダヤ人であるとのことです。

三宗教の交流に関して話を戻すと、ルネサンス時代、15世紀のドイツの宗教家ニコラウス・クザーヌスは、オスマントルコ帝国が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを征服した直後の1453年に『信仰の平和』という本を書きました。この話では天国においてキリスト教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が宗教的合意に至ります。彼らは完全な力を与えられ、共通の宗教的中心地であるエルサレムに集合して単一の信仰を授けられ、そこで永遠の平和を確立、この平和のために万物の創造主よ永遠に栄えあれ、アーメン、で終わるとのことです。

16世紀となると近世はもう始まっていたのですが、フランスのギヨーム・ポステルは『秘密の鍵』という本で、アブラハムの律法を遵守すれば、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒は等しく救われると主張しました。同様に、18世紀オスマントルコ帝国のアブドゥルガニー・ナーブルスィも、イスラム教に改宗しなくても、ユダヤ人とキリスト教徒は心に信仰を持っていれは来世で救われると主張しました。つまり、この時代は自分の宗教でしか救われないとお互いが信じているのが普通であったのに、そういう考え方をしなかった特筆すべき人がどちらの側にもいた、ということです。

中世においては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は互いに関係性のある宗教だという、現代から見ると当然ながら正しい理解がありましたが、逆に18世紀になると、そのような関係性は一般的には明白でなくなりました。
◆25鍵USB MIDIキーボードコントローラー。限定レッドモデル! 【あす楽対象商品】AKAI アカイ / MPK mini MK3 RED【限定カラー レッドモデル】25鍵USB MIDIキーボードコントローラー

そのような時代背景においても、18世紀アイルランドのジョン・トーランドは1710年以降から『キリスト教とユダヤ教、ムハンマド教』などの本を書き、ユダヤ人の地位を向上させるために、キリスト教はユダヤ教にルーツがあるとする議論を俎上に上げました。フランスの哲学者モンテスキューも1721年に最初は匿名で書いた『ペルシア人の手紙』で、キリスト教とイスラム教はユダヤ教という茎から出たふたつの枝だとして言及しています。

そして1781年にドイツの劇作家レッシングは『賢者ナータン』という劇を書き、その中で『デカメロン』でも用いられた「三つの指輪」のたとえ話を紹介しました。『賢者ナータン』のモデルは、同時代のユダヤ人モーゼス・メンデルスゾーンだとされます。モーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ教の啓蒙主義「ハスカーラー」の第一人者です。レッシングの劇ではユダヤ人が非常に高貴な人物として描かれています。

「三つの指輪」のたとえ話、すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には密接な関係があるという話は、中世では明白に知られていた事実であったものの、18世紀の終わりになると、もはやレッシングのような思想は当時の典型とは言えず、彼は例外的な人でした。それでもまだかろうじて三つの宗教は同価値であるというたとえ話が通用していた証拠にはなります。

比較言語学の登場

16世紀からの大航海時代を経て、近世の欧州では世界に対する見識が急激に広まり、世界の様々な宗教に関しても新しい知識が広く普及しました。今までは「異教」とひとくくりにしていた概念は、アメリカ大陸の民族、インド人、中国人、日本人などの様々な民族の宗教に対する知見を得ることで一新されました。また世界の民族への関心は「比較言語学」の出現にもつながりました。



比較言語学の始まりは、1786年、イギリス人ウィリアム・ジョーンズが、ギリシャ語やラテン語という欧州古典語及びゴート語とケルト語といった欧州の古代語はサンスクリット語と同じ起源であり、古代ペルシャ語もその仲間であると発表したことにあります。ただしそれ以前の1637年にオランダのボクスホルンという人が、ペルシア語とオランダ語・ドイツ語・ラテン語・ギリシア語がひとつの祖語に由来するという説を述べ、後にサンスクリット・スラブ・バルト・ケルト語を加えていました。印欧語以外では1770年にハンガリーのシャイノヴィチ・ヤーノシュによりハンガリー語とラップ語の比較研究がありました。

このように17世紀から18世紀の啓蒙時代、すなわち欧州においてキリスト教という従来の権威から離れ、理性によって世界を把握しようとした時代に「インド・ヨーロッパ語族」及びそこから予想される「印欧祖語」という概念が多発的に生じたのでした。ウィリアム・ジョーンズによる発表はそれを世間に広めるきっかけとなりました。

啓蒙時代の芸術は理性的で普遍的な古代ギリシア・ローマ文化を模範とする古典主義でした。その後の18世紀末から19世紀前半はロマン主義の時代で、ロマン主義の芸術は情緒を重視して自然や超理性的なものへ傾倒するようになり、それは民間伝承への着目や民族意識の高揚へと発展しました。

1822年にドイツのヤーコプ・グリムは、印欧祖語からゲルマン祖語へ発展した子音推移「グリムの法則」を発見し、比較言語学が具体的に進展しました。印欧祖語からの音韻推移を示す法則はその他にも多数発見され、印欧祖語やインド・ヨーロッパ語族という概念ははっきりと明示的なものになりました。インド・ヨーロッパ語族という仲間意識と、同じ語族の中でもそれぞれの言語の個性を背景とする民族意識は、同時代の表裏の関係でした。

その時には既に、ユダヤ教とイスラム教はキリスト教に近いという認識は、宗教が世俗化する過程でほとんど失われていました。欧州の文学者たちはキリスト教を欧州の宗教だと認識し、それが中東起源だという事実を忘れ去っていました。特にドイツ語圏では、インド・ヨーロッパ語族の発見とロマン主義運動から、"我々はアーリア人種である"という発想が広まりました。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-4

アーリア人とは古代インドの最高階級バラモンだった民族です。元々は中央アジアのステップ地帯に住んでいてインドに侵入し、先住民族のドラヴィダ人を支配するためにヴァルナという身分制度を作り出し、自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、それがインドのバラモン教になりました。アーリア人とは、ある民族集団ではあるのですが、"アーリア人種"という概念は現代では否定されています。

しかし当時は、インド・ヨーロッパ語族は"アーリア人種"であると考える人種学の出現につながりました。19世紀に生じた人種学は人種の持つ性質を固定的に決めつけるというもので、そこに証明は無く、科学の名を騙った差別主義にすぎませんでした。そのため人種学という学問もまた現代には存在しません。

ユダヤ教のヘブライ語とイスラム教のアラビア語は一見して似てるので、聖書のノアの息子のひとりの名にちなんでセム語族と名付けられました。当時は"セム人種"とも言われました。
セムについてはこちら

中世までは、世界の交易はイスラム教徒やユダヤ教徒に牛耳られていて、キリスト教徒は彼らより格下とは認めてなかったとは思いますが、敵対関係としては同等だという認識があったと思います。大航海時代を経て交易に関する劣等感が消えると共に、産業革命で完全に優位に立つようになった欧州のキリスト教徒は、インドではバラモンになった我らアーリア人種はセム人種とは違うんだという歪んだ優越意識を持つようになったのだろうと思います。

欧州在住のユダヤ人は中世以来ずっと非キリスト教徒ということで差別迫害されていましたが、フランス革命を経て「自由・平等」という理念が生まれ、ユダヤ人も平等な市民権を得るようになりました。19世紀の欧州のユダヤ人は欧州社会に溶け込んで生活し、お金持ちの人も目立ちました。そのような時代に生じた人種学は新たな差別感情の引き金を作り、ユダヤ人は最も身近な差別対象とされました。尚、このブログでは「反ユダヤ主義」という用語で統一していますが、19世紀以降の人種説に基づく「反ユダヤ主義」を英語では「antisemitism」=「反セム主義」と呼びます。

セム的一神教とは

英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。この概念の先駆者となる人は、19世紀半ばのフランス人エルネスト・ルナンだと考えられています。「セム的一神教」という概念の背景には、ヨーロッパの諸言語と古代インドのサンスクリット語が似てるという発見から発展した比較言語学があります。
https://www.amazon.co.jp/Idea-Semitic-Monotheism-Rise-Scholarly/dp/019289868X

以降の記事は、ギイ・ストロムザ著『セム的一神教という発想:ある学術神話の興亡』という本を要約した下記のサイトから抽出し、説明的な補足を加筆してまとめたものです。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-6

エルネスト・ルナンはセム語派の言語に詳しい言語学者であり、宗教史家、哲学者でもありました。彼は1855年に『セム系言語の一般史および比較体系』を出版しました。その本の中で彼はセム語族について、彼らは神話も叙事詩も科学も哲学も創作物語も造形芸術も市民生活も何一つ持っていなかった、と主張しました。それらの要素はヨーロッパ人が生活文化に不可欠だと考える分野なのですが、セム語族はそういったものを一切発展させなかったというのが彼の主張です。

特に宗教に関しては、彼らが住む砂漠は自然環境として単調なので、豊富な神が存在する神話が発生しなかったと彼は考えました。今の感覚では差別的な発想ですが、当時のフランスでの彼はヴィクトル・ユーゴーと並ぶ知識人でした。ルナンは宗教を人類が原始時代から持つ哲学だと考えていました。彼にとってアジアは宗教の祖国であり、欧州は合理的で内省的な思考、すなわち哲学と科学の祖国でした。将来は科学が現代人の新しい宗教になるだろうと彼は予見しました。

ルナンはまた、欧州の宗教であるキリスト教は東方地域のセム語族の宗教であるユダヤ教とイスラム教とは隔たっていると認識していました。19世紀半ばごろの欧州では既に"人種学"という学問が当たり前のようになっており、ルナンもまた"セム人種"や"アーリア人種"という呼び方を使っています。彼の場合は差別感情でそう言っているのではなく、当時はそういう言い方が普通でした。

ルナンは、比較宗教学の研究者フリードリヒ・マックス・ミュラーによるインド・ヨーロッパ語族(すなわちアーリア人)の神話研究に影響を受けて、彼自身はセム語族の宗教の研究に取り掛かりました。しかしその試みは失敗したと言えるでしょう。その理由は彼自身の認識にあります。欧州に広まったキリスト教は当然ながら"セム起源"でしたが、彼にとってのキリスト教は欧州の"アーリア人"の宗教であり、ユダヤ教とイスラム教は今生き残っているセム語族としてのユダヤ人とアラブ人の宗教でした。現代から見ると彼自身の認識そのものが不正確なので彼の試みは失敗だと言えるのです。

彼の定義では、セム語族の宗教とはセム語を話す人々の間で生まれた宗教ということでした。従って、欧州語で教育を受け、周囲の環境に同化した西欧のユダヤ人は、彼によれば、"セム人種"ではありません。またこの定義によれば、イスラム教はイラン人、トルコ人、マレー人など非セム語族の間にも広まっていますが、そんなことは全く問題ではないということになります。

ルナンは、神の単一性という発想はセム語族の発明だと認めます。とは言うものの、彼はセム語族を高くは評価していませんでした。彼は、彼らは自然が貧しい乾燥地域に住んでいたから劣った種族なのだと決めつけていました。単調な砂漠気候では、政治、神話、芸術、哲学などの多様な分野での創造性は発達しないだろうと彼は考えました。セム語族による人類への貢献は宗教のみ、すなわち、非常に特殊な種類の宗教である一神教の発明のみと考えました。"アーリア人"は多神教だったので、これに関してルナンは「砂漠の精神」と「森の精神」という表現で対比しました。

セム語族に神話が無いという発想は、イタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコが1724年に出版した『新しい学』の中で「神話はイスラエルを除く古代世界のすべての人々に存在する普遍的な現象である」と主張していたのを彼は読んでいたからであろう、とのことです。

ルナンは、キリスト教はユダヤ教から生じたという事実は認めていました。なので彼は「私たちフランス人は、私たちの言語ではローマ人、私たちの文明ではギリシャ人、そして私たちの宗教ではユダヤ人です」という言葉を残しています。しかし彼にとってのユダヤ教はイエス出現後はその存在意義を失い、もはや本格的な宗教ではなくただの宗派となっていました。欧州のキリスト教は近東起源の束縛とは共通点がほとんど無かったと彼は考えていました。

ルナンは、当時のキリスト教徒たちが普通に持っていた考え、すなわち、イエスを殺したのはユダヤ人だという認識を持っていました。しかし彼自身は決して反ユダヤ主義には走りませんでした。若い頃のルナンは、むしろ逆に、時の政府がユダヤ人の高等師範学校入学を禁じようとした時には声を大にして反対しました。歳を取ってからも、1881年に東欧とロシア帝国で反ユダヤ主義のポグロムが発生した時、ルナンはヴィクトル・ユーゴーと共に抗議の署名を行いました。また彼の本を出版したミシェル・レヴィはユダヤ人でした。この人はミシェル・レヴィ・フレール社という出版社の創設者であり、デュマ、バルザック、ユーゴー、サンド、フローベール、ボードレール、スタンダールといった19世紀後半フランスの大作家たちのほとんどを出版していました。

ルナンと同時代のドイツにはアーブラハム・ガイガーというユダヤ人がいて、イスラム教の経典クルアーンの大部分はユダヤ教のラビ文学から取られているという論文を1833年に著しました。その後更に発展させ、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教の基であり、キリスト教とイスラム教はユダヤ教の一神教を世に広めるための手段にすぎないと主張しました。ガイガーが最初にイスラム教に対するユダヤ教の影響を論じた時は喝采したドイツのプロテスタント神学者たちは、同じ事をキリスト教に対しても論じた時は大反発しガイガーを中傷しました。

しかしルナンはガイガーの研究を認め、その上でイエスを適切に理解する研究を始めました。ルナンは1863年に『イエス伝』を書き、"奇跡"などの非科学的伝説を排除した上で人間として素晴らしいイエス像を描き出しました。この本は宗教関係者を除く多くの人々から大喝采を受けました。しかし、この本の中の古代ユダヤ教に対する扱いはユダヤ人学者たちから批判されました。

ルナンは、一神教を発明したことは「ユダヤの奇跡」だと表現しましたが、同時に「ギリシャの奇跡」を強調しました。人類の最初の奇跡はユダヤの奇跡でしたが、ギリシャの奇跡はそれに匹敵するものだとしました。ギリシャの奇跡は歴史上一度しか生じていなく、それ以前には見られなかったし、今後も二度と見られることは無いであろう唯一無二のものであり、しかもそれは永遠に継続する永遠の美をもたらし、地域的に見ても世界的に見てもひとつの欠点も無い、というのが彼の認識でした。

ルナンはアーブラハム・ガイガーを含めたユダヤ人の学者たちと書簡交換などの交流をしていました。特にザロモン・ミュンクとは親しいながらも互いに意見をぶつけ合った間柄でした。1859年にザロモン・ミュンクは、ルナンの「セム的一神教」という概念、つまり、一神教の発明はセム語族による人類への貢献だとする見解を批判しました。

ルナンは、キリスト教はユダヤ教から生じたという事実は認めていましたが、ユダヤ教を本当の意味で引き継いだのはイスラム教であると考えていました。彼はイスラム教を宗教として懸命に理解しようと努めていましたが、 同時代人の欧州人のほとんどと同じように彼もまたイスラム教に偏見を抱いていました。彼は「イスラム教は人間の要素の中でも低レベルもしくは凡庸な組み合わせの産物だ」などと書いていました。彼はむしろ「反ユダヤ主義」というよりは、「反イスラム主義」でした。彼はアラビアには神秘主義や神話が全く無いとし、それはセム語族には神の複雑さを想像することができなかったからだと結論しました。1862年の講演では「ヨーロッパ文明を世界に広めるための必要条件はセム的なものを破壊する事、イスラム教の神権政治を破壊することである」だの「イスラム教はヨーロッパの最大の敵対者」だの、現代から見ると問題発言を色々と言いました。

当時のフランスは、1830年からアルジェリアの征服活動が始まり、1848年に植民地化、その後はアラブ人とベルベル人の絶え間ない反乱を軍事的に抑え込む、という状況が続いていました。当時、ルナンやヴィクトル・ユーゴーなどのほとんどのフランス知識人は、フランスによるアルジェリアの征服はアフリカに文明をもたらすと信じていたのでした。

ルナンは、イスラム教はユダヤ教とキリスト教の両方の影響から作られたという認識ではなく、イスラム教徒が自ら主張するように、イスラム教は本来のアブラハムの宗教に回帰したのだ、という見解を支持していました。ルナンにとってそれはイスラム教は創造性が低いという結論になりました。ルナンは"聖地"すなわちパレスチナに巡礼者として訪れたことがあり、当時その地はオスマントルコ帝国領で荒廃していたのですが、その荒廃の原因をオスマントルコ政府ではなく、イスラム教のせいだと考えました。

その後の1860年10月にルナンはドゥルーズ派とマロン派が激しい戦闘をしている時期にレバノンに行きました。ドゥルーズ派とは、イスラム教から派生してヒンズー教とギリシャの哲学の側面を組み込んで10~11世紀のエジプトで成立した宗派です。マロン派はキリスト教であり、マロン典礼カトリック教会とも呼ばれ、レバノンを中心に信者がいます。19世紀になると、レバノン山地でドゥルーズ派とマロン派が激しく対立、フランスがマロン派を支援、イギリスがドゥルーズ派を支援して紛争となりました。1860年5月にはマロン派住民が数千人虐殺されたので、フランスは軍事介入したという経緯があります。ルナンはこの見聞からも1861年にはすっかり反イスラムとなりました。

ルナンは1883年の講演でイスラム教は宗教として常に科学と哲学などあらゆる種類の自由思想を迫害してきたと主張しました。もちろん彼はアラビア哲学やアラビア科学の存在を知っていましたが、それは言語のみがアラビア語であり中身は純粋にギリシャのものだと考えていました。ルナンの考えではイスラム教はセム語族の宗教だから本質的に不寛容なのだということでした。その結果イスラム教は自らが征服した国々を合理的精神文化から閉ざされた場所に変えてしまったと彼は考えました。

ルナンの考えではセム語族の文化は欧州文化のような豊かさが無く、彼らの住む砂漠は単調な風土だから多様な神が生まれなかった、そのため一神教が生じ、その結果として預言というものも生じたというものでした。一神教と預言は直感から生まれた革命的な発想だと彼は認めていましたが、結局彼にとっての一神教とは深い宗教性が持つ豊富さを過度に単純化したものだというものでした。彼にとってイスラム教はその最も極端な例であり洗練というものが全く欠如していると感じていました。彼は「セム語族は神の多様性を決して理解できない」と述べていました。ユダヤ人もイスラム教徒もイエスの「甘美なる愛の神学」は理解することはできないんだと彼は考えていました。

彼はキリスト教をセム的ユダヤ的な起源から切り離そうと常に考えていました。イエスは出自こそユダヤ人でしたが、ユダヤ教を継承したのはキリスト教ではなくイスラム教だと彼は考えました。キリスト教は自らをヒューマニズムに変貌させたので、それによりキリスト教は未来への宗教となり、人類の宗教になったのだということです。その事は元を辿ればセム語族が人類に与えた贈り物だとは認めていました。

当時欧州ではイスラム教徒の学者はほとんど活動していなかったので、ルナンの考えに対する彼らの意見は知ることができません。唯一、著名なイランの思想家ジャマールッディーン・アフガーニーはルナンに反論したイスラム教徒でした。アフガーニーはヨーロッパを旅しながらイスラム国家の改革を考えました。彼は「汎イスラム主義」を唱え、オスマントルコ帝国やカージャール朝イランの専制体制を批判し、法治国家の立憲制が優れていると考えていました。

1883年、アフガーニーはルナンのイスラム教に対する誤解とイスラム教徒に対する偏見に対する反論を発表しました。彼は、イスラム教は科学を促進しなかったと認めたものの、それは全ての宗教に当てはまることなのでイスラム教だけに固有のことではないと主張しました。中世においてギリシャの科学と哲学が忘れ去られるのを防いだのはアラビア語の翻訳があったからであり、それが後になって欧州のキリスト教国に伝わったというのは実際、事実でした。アフガーニーの主張では、イスラム教徒の間で現在見られる科学に対する否定的な態度は、彼らが発展してきた歴史的および文化的な状況から由来するものであるので、それは将来克服することができるだろう、ということでした。

反ユダヤ主義

欧州の啓蒙主義以来、モーゼス・メンデルスゾーンやアーブラハム・ガイガーなど、ユダヤ教内部でも改革運動がありました。

ルナンの「反イスラム主義」はセム語族全体に対する誹謗と言えるので、ユダヤ人からの反感を招きました。「Antisemitismus」すなわち「反セム主義」という用語は、偏ったルナンの主張に対して、ボヘミアの著名なユダヤ教の学者モーリッツ・シュタインシュナイダーが名付けたものでした。英語で「antisemitism」となるこの単語をユダヤ人にだけ適用し、内容的に「反ユダヤ主義」の意味となったのは、1880年代以降、ドイツの政治活動家ヴィルヘルム・マーがそのように使用してからでした。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-6

ヴィルヘルム・マーは、「諸国民の春」とも呼ばれる「1848年革命」でドイツの民族的統一が失敗した後にはプロイセンが中心となるドイツ統一を支持しました。その後彼は数回結婚しました。1854年の一回目はキリスト教に改宗したユダヤ人家庭の娘と結婚しましたが離婚、二回目はユダヤ人女性と幸せな結婚をしましたが一年後に彼女が死亡、三回目は彼女の両親がキリスト教徒とユダヤ人という女性でしたがこの結婚も1877年の離婚で終わりました。最後はドイツ人女性と結婚しました。

ヴィルヘルム・マーは当初から反ユダヤ的でした。ドイツ統一に当たっては、ユダヤ人その他の非ドイツ人はドイツ民族に同化しない限りは仲間に入れないという主張に同調していました。彼はそのような考え方を更に強め、ユダヤ人はドイツ民族に同化するだけじゃ駄目だと思うようになりました。ドイツ人とユダヤ人は長年争っていたが結局ユダヤ人が勝ってしまった、すなわち、ドイツにおける自由主義からユダヤ人解放運動が生じてユダヤ人差別は無くなったが、それによりユダヤ人はドイツの金融や産業を支配してしまった、と彼は考えました。しかもこの争いはユダヤ人とドイツ人が異なる"人種"であることに基づいているので、それは同化では解決できないというのが彼の結論でした。彼はさらに過激に、ユダヤ人の勝利は最終的にはドイツ民族の終焉で終わると考えました。1879年に彼は「反ユダヤ主義連盟」=「Antisemiten-Liga」を設立し、これはユダヤ人の強制退去を提唱したドイツで最初の団体となりました。このような考え方が後のナチス・ドイツの時代へとつながるのですが、この時点でのドイツでの通常の考え方はそこまで過激ではなく、1891年に設立された汎ゲルマン主義の「全ドイツ連盟」では、ユダヤ人であってもドイツ文化に完全に溶け込んでいるならば会員資格が認められました。
※沖縄/離島別料金 FUJITSUBO フジツボ マフラーカッター Re:FACE プリウス NHW20 109-10033 【NF店】

フランスでも、1870年の「普仏戦争」でドイツに敗北したことをきっかけに状況が悪化し、"人種論"に基づく反ユダヤ主義の出現を招きました。1889年にフランスの「反ユダヤ主義連盟」=「Ligue antisémitique de France」がエドゥアール・ドリュモンの主導で創設されました。また1894年にはドレフュス事件が起こりました。ドレフュス事件を取材した新聞記者のテオドール・ヘルツルは「シオニズム運動」を開始しました。ドレフュス事件は第一次世界大戦前の1906年に解決し、ドレフュスは無罪となりました。それと同時にフランスの反ユダヤ主義も急激に衰退しました。

ドイツでは第一次世界大戦中までユダヤ人の状況は安泰でした。第一次世界大戦後のヴァイマル共和政の初期の頃にユダヤ人に対する暴力がありました。その頃、世界的な偽造文書『シオン賢者の議定書』が出回ったことも要因でした。1920年代の後半になるとヴァイマル共和政も安定して繁栄してきたので、反ユダヤ主義は減少しました。しかし1933年にヒトラーが権力を掌握するとすぐに反ユダヤ主義が広まりました。ナチス・ドイツが"アーリア人種"という概念に固執していたことは周知の事実です。

まとめ

ユダヤ教の聖書で使われるヘブライ語、イスラム教の聖典クルアーンで使われるアラビア語、キリスト教のイエスが話していたというアラム語、その全てはセム語系と名付けられた言語なので、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を日本では何の疑問も無く「セム的一神教」とまとめることがあります。

ところが英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。この単語の根底には、ユダヤ人やアラブ人は"劣ったセム人種"で、反対に我々ヨーロッパ人は"優れたアーリア人種"なのだという、近代ヨーロッパで生じた非常に歪んだ自意識があります。その辺の事情に疎い日本人がユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ一神教でしょと思って気安く「セム的一神教」と言ってしまうのは、現代の国際感覚では通用しない用法です。その場合は「アブラハムの宗教」と言い換えるのが妥当なのですが、キリスト教などに疎いとアブラハムって何?という感じなのでなかなか広まらないのかもしれません。

でも本当は日本人の素朴な感覚の方が実は正解なのです。ヨーロッパでも中世の頃は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、「三つの指輪」に例えられるように、互いにそっくりな宗教だと正しく認識されていました。その後、近世以降ヨーロッパ諸国が外の世界を支配し始め、自分たちは他の民族より優位だと勘違いするようになり、三宗教は根は同じという当たり前だった事実からも目を背けるようになったのです。

人間は時代を追うごとに賢くなっていくのかと思いきや愚かになってる場合もあり、我々現代人も心して謙虚に歴史から学ばなければならないなあと思います。ただし最新の国際感覚では歴史上の過去における民族差別も遡って反省する傾向になっているので、この感覚がさらに広まると良いと思います。